2026.03.13

<西成区>つながりの大切さを求められている今こそ、助け合いについて考える ~防災企画展特別講演会~

 

 

石川県七尾市と輪島市から実際の経験を聞いて学ぶ
 西成区社協は、2月21日に「防災企画展」を開催しました。第1部では、「災害から考える西成区の中での助け合い」をテーマとして、防災企画展特別講演会をおこないました。第2部では、防災絵本展示や防災物品展示、煙幕体験、写真洗浄体験などのブースを設けました。
 今回は、第1部の防災展特別講演会の内容について紹介します。
 当日は、50人近くの参加があり、区社協会長の越村市二さん、大阪難波ライオンズクラブ会長の髙橋慎太郎さんから開会挨拶のあと、進行役に区社協災害アドバイザーであり、オフィス園崎代表の園崎秀治さん、講師では石川県七尾市社協の谷口卓也さん、元輪島市社協で現在輪島復興支援団体リガーレ代表の槌谷雅也さんを迎え、講演がありました。

▲災害時の備えについて会場全体で考えました

 

 石川県では、令和6年1月1日に「令和6年能登半島地震」、9月20日に「能登豪雨」が発生し、県内では土砂災害や地盤隆起、断水などの甚大な被害を受けました。ご自身も被災しながら、現地の社協で災害ボランティアセンターを立ちあげ、運営していた2人の講師から震災直後と現在の現場、困ったことなどの貴重なお話を聴き、西成区で災害が起こった際にどのような対応が必要になるのかを考える機会となりました。
地域のおせっかいさんの存在の必要性
 谷口さんは、「能登半島地震の発生直後では、建物の倒壊やライフラインの停止など、市内全域で深刻な被害が生じました。発災から2年経った現在も、家屋の解体や修繕、道路工事などの復旧作業が続いています。避難所では、防災士が数人いたことや地縁団体の存在により、住民同士のネットワークが機能し、市民の力が発揮されました。また、自分たちの地域の困りごとに対して何ができるかを考えるため、震災後の地域の現状をマップで可視化しました。その中で、『まちなかにベンチがあれば、気軽に語り合えるのではないか』という意見があり、被災地支援で活動している団体と協力し、ベンチ設置に取り組みました。ベンチの設置を進める過程で、こどもから高齢者までの多世代の交流にもつながりました」と話しました。
 園崎さんから、「住民の方々が主体的に取り組んでいる様子が伺えましたが、社協として背中を押すうえで工夫したことはありますか。また、現在抱えている不安は何でしょうか」との質問がありました。
 これに対し、谷口さんは、「自分たちの力でできることと、自分たちではできないため、他団体に支援をお願いしたいことを考えていただきました。また、無理な時はやめてもよいという選択肢も持ってもらうようにしています。現在の不安としては、市内に13か所ある仮設住宅で、次の住まいが見つからないことや、ペットと暮らすことができる物件がほとんどないことです。さらに、仮設住宅には、市内全域から、さまざまな方が入居しているため、隣近所でもお互いを知らない状況にあります。今感じることとして、地域のおせっかいさんの存在が大きいと感じています」と谷口さんは述べました。
 最後に谷口さんは、「つながりづくりによって期待される効果として、安否確認のスピードが上がること、要援護者の避難支援がよりスムーズになることが、今回の能登半島地震の経験からわかりました。また、顔見知りが増えることで心理的な安心感が高まりますし、顔見知りのコミュニティがあることで、不審者の侵入を防ぎやすいといった防犯面での効果もあります。平時から地域とつながっておくことで、行政やメディアには載りにくい情報をタイムリーに得ることもできます。平時のつながりは本当に頼りになりますので、普段のあいさつといった小さな一歩からでも構いませんので、隣近所の方とつながり、支え合える関係を築いていただきたいと思います」と語りました。

▲七尾市社協の谷口さん

 

外部支援団体等が去った後の活動展開
 槌谷さんは、「以前は、和太鼓集団で活動していましたが、令和4年に輪島市社協へ入職しました。その後、令和7年8月に退職し、現在は輪島復興支援団体リガーレの代表として活動しています。能登半島地震は、おせちを食べようとしていた時に発生しました。平時から避難ルートを考えていましたが、発生時、家を出た瞬間に想定していたルートは通れない状況で、別のルートを探しながら避難しました。一晩で風景が変わり、何から手をつければよいのかわからない、そんな状況でしたね。また、避難所では、勝手に土足のまま入って電気をつけるなど混乱もありました。さらに、2~3日ほどでコミュニティも形成され、在宅生活を余儀なくされる人には物資が届きにくい状況もありました」と、震災発生直後の様子を動画や写真を交えて話しました。
 続けて、槌谷さんは、「輪島市では集落があった過去もあり、地域ごとに考え方や取組み方が異なるため、復興支援を一律に進めることはできませんでした。現在も断水が続いている地域、車中泊を余儀なくされる方がいます。また、災害ボランティア活動では、技術系ボランティアが対応できるのは応急修理までで、業者の仕事を奪わない範囲で活動する必要があるなど、難しい面もあります。一方で、ボランティアと地域のこどもたちとプールを掃除する機会もありました。学校終わりにボランティア活動に参加してくれる小学生もおり、『何歳からボランティア活動ができますか?』と尋ねられることもあります。こうした経験から、年齢に限らずできるボランティアがあることを改めて実感しました」と述べました。
 最後に槌谷さんは、「震災から2年が経つと、次の段階の活動へと移っていきます。現在は民間で『輪島支援協働センター』を立ちあげ、今できることは何かを、いろいろな団体が集まって話し合っています。また、輪島市では、公費解体により多くの場所が更地となりました。いざ建物がなくなると寂しさを感じたり、精神的につらくなることもあります。これから他団体と協働しながら、復興活動を続けていきたいと考えています。能登半島地震に関する報道が少なくなり、能登全体の現状が伝わりにくくなっていることも課題です。まだまだ支援が必要な状況であると感じていますので、関心を持ち続けていただけるとありがたいです」と参加者へ伝えました。

▲輪島復興支援団体リガーレ代表の槌谷さん

 

 槌谷さんの報告に対し、園崎さんは、「震災が発生すると、多くの外部支援団体が入りますが、いずれは去っていきます。しかし、その後も住民のニーズは続きます。その中で、地元としてどのように活動を継続していくのか、どのように自立へ向かっていくのか、そして支援者側の思いが地域の思いとずれないように、どのように働きかけていくのかが重要となります。支援者と地域の思いのボタンのかけ違いを防ぐためにも、中間支援団体の存在が必要です」と話しました。

▲オフィス園崎代表の園崎さん